カルアミルクを飲みたい。

普通の人間になりたかった底辺学生の雑談。

ノーオタク・ノーライフ

こんにちは。

なんとなくブログを書く人、カルアミルクです。

 

昔大学の授業のレポートでオタクについて語ったことがあります。

確か宗教の授業で、課題の内容は忘れたけど、私のテーマはオタク=宗教みたいな話。

 

当時ラブライブ!というコンテンツに一番はまっていた時期で、

なんとなく好きなもので単位を取ろうと思った。

良く対比されるアイマスラブライブ!のことやファンとアンチのことをぼかして書いた覚えがあります。

まあこの話を実際の宗教と結びつけて書いたんですが。

もちろん最高評価を貰いました。

 

さて、そんなオタクな私ですが、やはりオタクということを社会では隠してしまいがちです。

ここでオタクというのは、一般的な認識であるアニオタであったり、ドルオタであったり。

やはり相手から嫌な目で見られることを気にしてしまうので結果隠してしまう。

同じような心境の人は多いのではないでしょうか。

特に昔はアニメとか全然見なくて・・・みたいな人。私もそうなのですが。

 

そんな私ですが、考え方を少し改める出来事がありました。

ある打ち上げでいっしょだった人が発した言葉。

「〇大生ってみんなオタクじゃないですか。」

学名は伏せます。もちろん。

 

なんか心に残って、忘れられないのです。

ふと思い返せば昔レポートに皆何かしらのオタクだと書いた覚えがあって、

そういう考え方を思い出させてくれました。

 

オタクであることを馬鹿にされることがありますが、

馬鹿にしてるその人も何かしらのオタクなのです。

 

様々なジャンルはオタクの対象としては全て同じ価値があると思います。

 

アニメもゲームもアイドルも歌も絵もスポーツも。

何でも同じように人から愛される権利があります。

だからジャンルによって比べられることはあってはならないし、

(お前アニオタかよ、だっさ。俺はバンド好きだもんね!みたいな)

何が好きかによって人を判断するのも少しおかしいのではないでしょうか。

 

この件でもっと自分が好きなものに自信を持ちたいというか、

そのコンテンツを好きなことを恥じないようなそんなオタクになりたいなと思いました。

もう一年前ですが。

 

最近自分の好きなものに大きな動きがありました。

μ’sのファイナルライブだったり、DARKSOULⅢが発売されたり、ポケモンの新作が発表されたり。

 

どれも人気作品で叩かれることもありますが、その作品を愛し続けることそれが作品への一番の恩返しなのかなと思います。

 

長くなりましたが、一番伝えたかったことは、

面白い考え方をする学生(皆オタクと言った彼)やそういうことを受け入れてくれる素晴らしい教授がたくさんいる大学があるということです。

 

決してオタクについて語ったブログではありません。

それでは。